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発達障害とは障害ではない

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5年ほど前からでしょうか

発達障害という差別するための名詞が生まれました。
結論から言いますと
これは医師が悪人、そして社会風潮特に
教育機関が差別をしやすくするために作ったと言っても
過言ではありません。

特別支援学級にいる子は障害児
なので教師にそのつもりはなくても
不要な気遣いを生みます。それは善意でも差別だという事に気づかない
恐ろしい事です。

最近、よく交流学級
(地域で呼び名が違うでしょうが普通学級)
の先生がプリントを入れてます。

連絡帳を見ても宿題なのかなんなのかわからず
とりあえず宿題ならやるべきだと思い
私も坊ちゃんに声をかけ
坊ちゃんも三田市で1年半荒れたせいで遅れた分解らないなりにも
宿題ならしなくっちゃという意思できちんとやります。

規則正しくルールを守る子です。
なのにこれをADHDのこだわりとか自分の決めた事は守るという表現に代わります。

果たしてそれは正しいでしょうか?

ルールというのは誰しもが守るべきこと
当たり前のことをしているのにこだわりだのなんだの
支援学級の子供だからまあ出来るなら
やったらええわ出来んかったらやらんでええわ
それが宿題とは書かず
頑張ってやっていっても採点すらされず帰ってくる
先生にその気はなくとも
先生の心は差別に洗脳されているのです。

世界的には宿題なんて拷問という考え方が定着していますが
日本では小学生が宿題をするのは当たり前
ルールでもあります。

それを出来なかった子が進んでやっているのに採点をしない
間違った答えでも教えない支援学級の子供だから

こんなひどい教育を許していいでしょうか?

日本の場合、まずトップダウンで言うのなら
文科省が腐ってます。各自治体の教育委員会という魑魅魍魎の集団があります。
公立学校は教育委員会の言いなりです。
校長や教育委員会の特等席を狙う私利私欲の塊です。

そんな連中が子供たちを預かっているのだという事を
親は知っておかなければなりません。

学校に至っては、そんな腐った連中に言いなりで
今でこそ少なくなったけれどモンスターペアレントの言いなりで
教師たちはビビりまくっているのもよくわかります。
しかし情熱のある先生はそんな地位や名誉よりも
心の底から子供たちを信じ、指導し、導き、信頼されるものだと
私は思います。

三田の小学校、あってないような三田市教育委員会
兵庫県教育委員会であまりにひどい扱いを受けたので
神戸市に戻りましたが
神戸市も市教委単位では腐敗しています。
お上の言いなり
学校もしかりです。

大阪市に大空小学校という素晴らしい公立小学校があります。
障害が有る無いに関係なくみんないっしょ
税金で私たちは子供たちの未来を託されたのだから
公平に子供たちを預かる(前校長先生の考え方)

その通りであり、公立校でもこうして実行できている
壁を取り払う差別をしない学校
があるのです。

お飾り校長では絶対にできませんが
校長がまともな人間ならできるはずです。

そもそも発達障害など事実上ありません。
私たちが子供の頃特別支援学級なんかなかったと思います。
時代が変わったと人は言います。時代は変わっても人間は変わらないのです。

厄介な子供は、発達障害や障害者と決めつけて教育しているのが今の学校です。
日本は教育では世界トップレベルです、しかしそれに同調すべき
児童福祉では世界でも50位以下の後進国です。
(老人福祉は比較的高い所にあります)

怒られるかもしれませんが、確かにこの国を守ってきてくださった高齢者に
恩を返す意味での福祉はトップランクでいいかもしれません
しかしこの国の未来を創るのは高齢者ではなく子供たちです。
どちらも大切です。ですが教育と福祉、高齢者福祉と子供福祉
実にアンバランスな国なのです。

発達障害は障害ではありません。
今、放課後デイサービスのドライバーをパートでしています。

ある養護学校へお迎えに行きます。
知的障害の子供たちに出会います。私はすぐなついてもらえたし
彼、彼女たちを差別したりしません。
その心が通じていると自負しています。
同じ未来を担う子供たちなのです。

そして家に帰って坊ちゃんと接するとこの子は障害はないなと実感できます。
いろいろ悩んできたけれど
今は本人もほとんど支援学級で過ごしていません。
自主的に交流学級にいるそうです。

こうして成長していずれ解らなくなるんです。

支援学校に通っている子達には間違いなく援助が必要です。
専門家じゃないので詳しくわかりませんが知的に障害があると
やはり行動や、動き、話せないなどの支障が出ています。
その子たちには同じように社会生活を営めないと感じます。
でも社会生活を送れるようにするのが国、地方、地域、個人すべての国民の
務めであると私は思います。












by bbyamacyan | 2019-06-15 09:40 | Of children